1993アイアンマンジャパンinびわ湖

 はじめてのアイアンマンの出場通知が届いてかなり嬉しかったのを覚えています。

 もちろん当時は選考があり、たしか3倍程度の倍率だったと記憶しています。
 アイアンマンに出たかったのですが「出場するには宮古島や佐渡などのロング/ミドルディスタンスのレースで上位に入らなければならない」などと、当時所属していたJTRC千葉というトライアスロンチームの諸先輩方に教えてもらいました。
 成績選考なので、何回(何年)申し込んでも出られないという人がゴロゴロしていた時代です。

 前年は実績つくりのため、徳之島トライアスロンと北海道のオロロンライントライアスロンという2つの長い距離のレースに出場し、両方とも30番台の順位でフィニッシュした記録が選考対象になったようです。

 91年にトライアスロンをはじめてから、3年越しのアイアンマン出場です。

 会場につくと結構圧倒されます。
 だってみな黒く日焼けしているし、強そう.........
 自転車だって、どー考えても皆1台50万以上かけているのでは...?と思わせるマニアックぶりです。
 当時自分の自転車は、始めて作ったクロモリフレームのロードレーサーにDHバーをつけ、前後ホイールともノーマルなスポークホイールを使っていました。

 でも自分なりにそこそこ練習したつもりだったので、始めてのスイム3.9kmということを別にすれば特に不安もなくスタートに向かいました。

 スタートは1kmだか2km先にある琵琶湖畔の松原水泳場まで歩いていきます。水温はやや冷たく感じたものの、とにかくスタート。
 プールで一人自己流で練習していたためかスイムは不得意です。
 途中足がつりかけましたが、なんとか1時間13分も要してフィニッシュ。

 フィニッシュはちょうど彦根プリンスホテルの裏手に作られた桟橋で、そのままプリンスの駐車場がバイクラックになっています。

 バイクコースは彦根プリンスをスタート後、琵琶湖に沿って北上。余呉湖という小さな湖をまわり、北陸本線の踏切をこえて国道365号線を北上。柳ヶ瀬で折り返し、次の狭い林間の洞寿院で2度目の折り返し。さらに川合の交差点をぬけて金居原で3度目の折り返しをしたのちに平地を南下。
 伊吹山の麓をまわって琵琶湖畔に戻るオリジナルのレイアウトでした。

 自転車はそこそこ練習していたので、最初はややペースが速めでしたが、50kmをすぎるころからはマイペースに落ち着き、淡々と走り続けました。

 途中、通称てっぺん坂と呼ばれる長い坂の両側に応援が沢山いるのにびっくり・感動したり....

 ひととおり伊吹山の周辺をまわりバイクフィニッシュである」奧びわスポーツの森」に戻る手前の140km付近でしょうか、なんとフロントタイヤのエアが抜けています。
 とりあえず降りてポンプで空気を入れてスタート。
 しかし5kmも走らないうちにエアが抜けてしまいパンクの模様。
 予備のタイヤに入替え、ポンプで空気を入れ7分くらいのロスで再スタートとなりました。
 バイクはなんとか5時間40分くらいで終了。
 この時点で、スタートから約6時間55分が経過。

 ランは当時、スタート後に琵琶湖畔の歩道を北上し、ぐるりと田園地帯をまわってふたたび琵琶湖畔に戻り、一気に長浜まで南下し、長浜の豊公園でフィニッシュするというレイアウトでした。

 上の写真のように、そこそこ調子よく走り出したのですが、12km(片山トンネル)手前でとつぜん脚がケイレン。
 すぐ先にエイドが見えたのでそこまでなんとか走り、そこで椅子に座らせてもらいセルフマッサージ。
 3〜4分するとケイレンもおさまり、何とか走れそう

 そこからはまたマイペースを維持でき、とにかく黙々と走る.....

 さすがに35kmをすぎ、長浜市内に近づいてくるとキツくなってきます。
 それでも最後の力を振り絞って長浜城のある豊公園にむかいます。

 公園をとりまくように走り、入り口から入るとすぐにフィニッシュエリアです。

10時間34分で初アイアンマンの完走です。

 総合順位は214位。さすがにこの順位ではハワイはまわってきません。
 このとき「たとえパンクしても脚がつって5分くらい止まっても、ハワイの権利がとれるように強くならないとなぁ〜」などと考えたのでした。

 手を挙げてゴールしたのですが、なぜか下げたところで写真に撮られてしまい、まるで疲れ切ったカッコ悪い写真になってしまいました(笑)


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