1994 アイアンマン・ジャパン
雪 辱 戦

 昨年の雪辱戦となるアイアンマンジャパン琵琶湖。

 なんとなくトレーニングの仕方みたいなものも分かりかけてきたころで、よりトレーニングを積んで臨むことができた.....ツモリ

 この頃はJTRC千葉というチームに所属しており、参加者数名で車に分乗していきました。
 レース前日にはレジストレーションはないため、たいてい金曜のレジストレーションに間に合うようにでかけるのです。
 渋滞が始まる前に都内を抜けたいため、朝5時頃に出発。
 途中2〜3度の休憩で、だいたい受付がはじまる午前10時前後には彦根に到着します。

 琵琶湖のレジストレーションは時間厳守だったことで有名です。受付時間を1分過ぎても受付をしてくれません(そこまでしなくとも...という声もありましたが)。
 事故や渋滞をかんがえて、できるだけ早めに着くようにはしておいたのです。

 ところで、多くの選手はレース前日には飲酒を控えたりします。「まあ前日くらいはビールを止めておこうか」という気持ちなのでしょう。
 しかし私の場合は「普段通り」がモットーですから、当然アルコール消毒もしています(もちろんたくさんは飲まないけど)。

 でも宿泊した長浜の町は飲食店以外だとビールの自販機がなかったんです。
 ビールを探してさまよったことも.....何度かあります。

 この年はウエットスーツも新調し、バイクも新しくしました。
 特にバイクはルックのフルカーボンフレームにDuraAceを組み合わせるというゼイタクをして、結局他の参加者同様高価な仕様になっていました。
 当時リアホィールにはスギノ・テンションディスクという、スポークの代わりにケブラーを張ったディスクを使いました。
 じつは春先に電話ボックスに入ったところ、なんと
落ちている財布を発見!
 
善良な市民である私は当然のことながら交番に届けました。
 しかし期限がきても持ち主が現れなかったので、なんと中に入っていた現金をもらえることになったのです。
 それがちょうど大会の1月前。

 
そのお金でテンションディスクを買っちゃったんですが......

 という訳で(ってどういうワケ?)、相変わらず緊張感もなくスイムスタート。
 さすがにスイムは練習を積んだので、前年よりはずっとマシ。
 とにかくペースメーカーとなる、自分よりちょっとだけ速そうな選手を見つけて、その後方を泳ぐという作戦をとったのです。
 1時間8分でスイムを終えられたので、少しは向上したようです。

 プリンス駐車場からバイクスタート。
 前年のアイアンマンジャパンではパンク、佐渡Aタイプではバイクペダルのシャフトが抜け、いずれも2度もバイクを降りて修理するというトラブルが重なったので、今年の目標はトラブルなく「
自転車から降りずに180kmを完走すること」です。

 バイクは結構練習しました。たぶん直近の5月は連休を中心に1000kmくらい乗り込んだ記憶があります。
 そのせいか好調・好調。
 3つの山岳を終え、てっぺん坂をすぎてもタレずにペースを持続することができたようです。

 快調に走っていると、バイクフィニッシュまで残り30kmくらいの地点で、マーシャル(審判)のオートバイが右に併走してきました。
 もちろん前には誰もいないので「ドラフティングぢゃないしナンだ?」と思っていたら、ナント
 「背中のレースナンバーが外れかけているので、見えるように留め直してください!」だって

 「ゲー、そんなコト言われたって、どーするのよ〜」と聞いたところ、「私が安全ピン持ってますので、止まってください。着けますので」
 「ありゃ〜、やっぱり目標は達成できず、停止かぁ〜」

 というコトで、ピンで留めてもらって再スタートです。
 でもこの年は比較的調子がよく、5時間15分ほどでバイクを終了できたのです。

 ランニングはマイペースでスタート。

 バイク途中は暑さは気にならなかったのですが、太陽がジリジリと体を焦がし始め、かなりの暑さになってきました。
 ところが途中(たしか)9km地点くらいから3人があつまり、結構イイペースにUP!
 ここで落ちたらイカン、とかなりがんばってペースをキープします。

 アイアンマンのランでのエイドはたいてい2-3kmおきにありますが、琵琶湖では途中4-5km以上エイドがない区間があったのです。
設置上の問題なので仕方ないんですが、この区間を走っているときが
暑くて・熱くて気が狂いそうになることがしばしです。

 あらかじめエイドの配置表を見てこの区間を覚えておかないと地獄を見ます。前のエイドではできるだけ水を取って、かぶり、スポンジも沢山取って走るのです。
 それでもようやく次のエイドにたどりつく前に、かなりのどが渇いた状態になっていました。

 中間地点を過ぎるあたりまでは、他の選手をあまり抜くことができませんが、さすがの暑さ。25kmくらいからポロポロと抜けるようになってきます。
 フィニッシュラインで全力を使い果たすくらいの気持ちでとにかくペースを維持していけば順位も上がっていきます。

 長浜の町に入る手間の踏切で3人くらい一緒に引っかかり、遮断機が上がると同時にダッシュ!...しているつもりでも、ちょっとだけ速く走る程度。
 ガードをくぐると豊公園はすぐ目の前。

 ぐるりと歩道を回り込み、長浜城を前に見ながらフィニッシュ。
 ようやく「マトモに走れた」という感があり、かなり嬉しかったように記憶しています。

 ランは3時間25分くらいでカバーでき、総合9時間49分とはじめて10時間を切ることができたのでした(アーヨカッタ)。

 総合では78位、なんとかハワイの権利もゲットできました。
 当時琵琶湖では、アワードパーティの席上でハワイ権利獲得者の名前がコールされていました。
 自分の名前が呼ばれるのを聞くのはいいものでした..


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