| 1994 アイアンマン・ジャパン | ||
| 雪 辱 戦
昨年の雪辱戦となるアイアンマンジャパン琵琶湖。 なんとなくトレーニングの仕方みたいなものも分かりかけてきたころで、よりトレーニングを積んで臨むことができた.....ツモリ この頃はJTRC千葉というチームに所属しており、参加者数名で車に分乗していきました。 琵琶湖のレジストレーションは時間厳守だったことで有名です。受付時間を1分過ぎても受付をしてくれません(そこまでしなくとも...という声もありましたが)。 ところで、多くの選手はレース前日には飲酒を控えたりします。「まあ前日くらいはビールを止めておこうか」という気持ちなのでしょう。 でも宿泊した長浜の町は飲食店以外だとビールの自販機がなかったんです。 |
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| この年はウエットスーツも新調し、バイクも新しくしました。 特にバイクはルックのフルカーボンフレームにDuraAceを組み合わせるというゼイタクをして、結局他の参加者同様高価な仕様になっていました。 当時リアホィールにはスギノ・テンションディスクという、スポークの代わりにケブラーを張ったディスクを使いました。 じつは春先に電話ボックスに入ったところ、なんと落ちている財布を発見! 善良な市民である私は当然のことながら交番に届けました。 しかし期限がきても持ち主が現れなかったので、なんと中に入っていた現金をもらえることになったのです。 それがちょうど大会の1月前。 そのお金でテンションディスクを買っちゃったんですが...... という訳で(ってどういうワケ?)、相変わらず緊張感もなくスイムスタート。 プリンス駐車場からバイクスタート。 バイクは結構練習しました。たぶん直近の5月は連休を中心に1000kmくらい乗り込んだ記憶があります。 快調に走っていると、バイクフィニッシュまで残り30kmくらいの地点で、マーシャル(審判)のオートバイが右に併走してきました。 「ゲー、そんなコト言われたって、どーするのよ〜」と聞いたところ、「私が安全ピン持ってますので、止まってください。着けますので」 というコトで、ピンで留めてもらって再スタートです。 |
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ランニングはマイペースでスタート。
バイク途中は暑さは気にならなかったのですが、太陽がジリジリと体を焦がし始め、かなりの暑さになってきました。 アイアンマンのランでのエイドはたいてい2-3kmおきにありますが、琵琶湖では途中4-5km以上エイドがない区間があったのです。 あらかじめエイドの配置表を見てこの区間を覚えておかないと地獄を見ます。前のエイドではできるだけ水を取って、かぶり、スポンジも沢山取って走るのです。 中間地点を過ぎるあたりまでは、他の選手をあまり抜くことができませんが、さすがの暑さ。25kmくらいからポロポロと抜けるようになってきます。 長浜の町に入る手間の踏切で3人くらい一緒に引っかかり、遮断機が上がると同時にダッシュ!...しているつもりでも、ちょっとだけ速く走る程度。 ぐるりと歩道を回り込み、長浜城を前に見ながらフィニッシュ。 ランは3時間25分くらいでカバーでき、総合9時間49分とはじめて10時間を切ることができたのでした(アーヨカッタ)。 総合では78位、なんとかハワイの権利もゲットできました。 |
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