1997 Ironman Japan

 最後のびわ湖・アイアンマンジャパン

 5回目のアイアンマン・ジャパン。

 しかし諸般の事情によりアイアンマンジャパンのびわ湖大会は最後となった。大会会場でも、開催打ち切りの噂がとびかっていた。
 この大会は、コースが単調なのでドラフティングが多いとか、何年も申し込んでも出場許可が出ないとか、選手が皆ハワイを狙ってピリピリしていてマナーが良くないとかいろいろ言われたけど、それなりにステータスもあり、なんと言っても「ロングディスタンストライアスロンの日本選手権?」的な雰囲気があった。
 つまり日本中の強豪がこの大会を目指していたようなもので、レベルも高く、それはそれでおもしろかったのだが.....

 さて、悪いことは重なるもので、折しも台風8号が日本本土、関西地方を直撃したため大荒れの天候となってしまった。
 大会前日、6/28の日中はほとんど雨は降らず暑い日だったが、台風は刻一刻と関西地方に近づき、果たして夜中に台風が滋賀県上を通過する天気予報が流れた。

 そのため、バイクの車検後はバイク依託をせずに選手が宿に持ち帰る特例措置がとられた。
 通常車検を済ませた自転車はラックにかけたまま主催者側が預かる。もちろん警備員を夜中も配置して、盗難されないようにするのだ。

 しかしこの年は、自転車を宿に持って帰るという不思議な体験になった。

 そして、果たして、台風は午後11時前後に滋賀県上空を通過した。


 翌日、レース当日。
 ふつうならば台風一過となって、空は晴れ渡ってもいいはず。
 しかし、ちがう。

 空は曇り。そしてパラパラと雨が降る。そして強風。吹き返しの強い北風が吹いている。

 当日の早朝、大会会場に向かう車の中からびわ湖に目をやると、無数の白波が立っているのがみえた。いやな予感.....

 そして、会場での公式アナウンスは、コースブイと、プリンスホテル裏側の岸に作られたスイム上陸用の桟橋が流されたことにより、スイムはキャンセルというものだった。

 従来のスタート時刻6:30を1時間繰下げ、招待選手、外国人選手、女子、男子のレースナンバー順に、7:30より5秒間隔でバイクからスタートとするというもの。
 おそらく知る限り、アイアンマンでスイムが中止になり、バイク→ランの大会(デュアスロンと呼ばれる)になったのは初めてのような気がする...

 午前5時にはすべての準備を終えていたため、かなり間のあいた時間が流れた(だってやるコトなかったので...)。

 レースナンバーは名字のアルファベット順にふられているので、スタートはかなり最後の方。
 暇をもてあましている知人たちとおしゃべりする。
 その間にも順番に選手がスタートしているのだから不思議な気分だ(どう考えてもトライアスロンじゃない)。

 ようやく自分の自分の順番に。

 コールとともに、ゆっくりと走り出した。


 琵琶湖畔を北上する部分は、例年スイム終了直後はゆるい追い風(南風)になる。
 しかし台風の吹き返しの強い北風が吹くため、最初からつらい旅となった。
 最初の折返し地点である45km地点の椿坂まで完全な向かい風となり、ギアはアウターとインナーを行ったり来たり。
 調子はあまりよくない。

 抑えなくてはいけないと知りつつも、抑えすぎるとタイムの伸びないというジレンマに陥りながら、ひたすら風を避けるように頭の位置を低くしてペダルを回すだけ。

 椿坂で折返し南下すると待望の追い風。
 そして2つ目の折返し上丹生、集落を抜けて3つ目の折返し金居原は山岳コースの為比較的風の影響は受けにくいところだが、山間の道であり、風向きが不規則に変化するためペースを維持しにくかった。
 北池を通り伊吹町に至る農面道路は、かつてびわ湖大会の華であった"てっぺん坂"の手前であり一番の応援ポイントで、熱烈な応援が嬉しい。

 4つ目の曲谷を折返し、再度応援の中をくぐって湖畔に向かって東走する田園地帯に戻ると、また強い向かい風の洗礼を受けることになった。
 そして最後に湖岸道路を1周回30km、またも向かい風になり、疲労も溜まった150km過ぎということもあり、スピードメータの表示は下がる一方。
 そして何とかバイクフィニッシュ。昨年の25分落ちと、辛く長い旅だった。


 ランは気温こそ上がらなかったが強い日差しとの戦いだった。
 ただ強い風のせいで比較的涼しく感じられたためか、ツブレる選手も極めて少なかったようだ。

 コースは田園地帯の中を、距離を稼ぐために右に左にと曲がるため、それにつれて風向きも変化し、ペースをつかみにくい。
 バイクがかなり悪かったため最後の手段として、ランの入りを速めにしてタイムをかせぐとともに、後半できるだけ粘ってタイムを稼ぐしか方法がない。
 ただ風向きの関係で、コーナーを回るたびにペースが上下してしまった。
 およそ21km過ぎ、風を背に受けて一路長浜ドームまで南下する湖岸道路に戻る頃に、前を走る同じチームのH氏に追いついた。

 そこからは二人でまるでランニングの練習会のようにペースが上がる。

 5秒置きスタートによって自分の順位はほとんど不明。
 完全に孤独なタイムトライアルといった感じだ。

 バイクで消耗した足は今ひとつリズムに乗れずペースが上がるどころケイ攣がはじまる始末。
 湖岸道路から離れて長浜市街に入ると残り約7km、本当に最後の力を振り絞り、痙攣した足を無理矢理前に運んでドームを目指した。
 すでにH氏はスピードを上げて先に行ってしまった。
 JRのガードをくぐり、長浜城を右手に見て、長い直線に入るとドームは徐々に近づいてきた。
 そして入口付近の人垣が見えてきた。
 入口からフィニッシュまで、ほんの2-300mが1kmにも感じられた。そしてドームの中でフィニッシュラインを通過した後は、痙攣箇所が硬直してしばらく歩くことができなかった。


 とにかく全力は出し切ったつもりなので、ケイレンが収まってからホテルに戻る。
 その夜はホテル隣にできた居酒屋で宴会となった.......

 翌月曜日。
 アワード会場でリザルトをもらう。この時点で初めて自分の順位とタイムを知ることができた。
 9時間5分、総合81位。
 なんとかこの年もハワイの出場権を得ることができた。

 最後のびわ湖大会だった。

 しかし5秒おきの時差スタートのためか、誰もが自分の順位がよくわからない。
 そのせいか、今までさんざん言われてきたドラフティングは全く見ることがなかった。
 まさに純粋な「個人タイムトライアル」。走っていて「辛くはあるけど、気持ちのいいレースだった」
 最後となったびわ湖で、過去数年にわたって問題とされていた部分を払拭するような実にクリアなレースが展開されたのは皮肉なことだ。


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